長屋の軒先でちょいとドカベン萌談義。
前から無印文庫版の巻末解説で好きなキャラに里中を挙げる人が極端に少ないのは何故だろうとつらつら考えていたんですが、先だって読んだドカベンPERFECTBOOKにこんな一文がありまして、
「だいたい里中は、もっと投げたいとかあの球で行きたいとか、注文が多すぎますよ。いつもマウンドでいらいらしてるでしょ。ぼくなんか読んでいて、オレだったらひっぱたいてやるのにと思いますよ。」
(デーブ大久保/ドカベンPERFECTBOOK)
ああなるほど、と(笑)。
初めてここを読んだ時は、里中ってそんなにいつもいらいらしてたっけ?と思わず首をひねったんですが、考えてみるに、ドカベンという作品の中でイライラしてるシーンが印象的なのは確かに里中だけなんですよね。他に精神的な弱さを特徴的に描かれてる人はそういないんですよ。みんな割合安定してる。ていうか主人公が一番安定してる。笑。めずらしいですよね。
私はむしろ里中のそういう人間的な部分がナチュラルに好きで、そういう部分があるからこそがんばれよ~って応援したくなるし、逆に落ち込みから立ち直って活躍してくれると感動するんだよなーって思ってます。それに弱い部分を持った人間がいるから周りのキャラが活躍する余地ができるわけですよね。作劇の話になっちゃいますけど。
太郎さんが知略の限りを尽くすのは里中が怪我をしてこそ。岩鬼が時々格好いいのは里中がぐるぐる悩むからこそ。殿馬が頼もしいのは里中がよろめくからこそ。笑。里中が不知火みたいな子だったらなにも起こらないです。そう考えると、里中ってつくづく立ち位置がヒロインだ。
そういうわけで、無印巻末に解説文を書くような、勝負の世界で活躍してきた人たちが里中いいよなーって言っちゃうのは確かにちょっと情緒的にすぎるのかもしれないなー、と思いました。本音はどうか知らないけど公の場で口に出してしまうのは気概的にやばい気がする。それに、里中の弱さを指摘することで俺は強い、俺はああじゃないって言いたくなる気持ちもわかります。言わずにいられないのかなってちょっと勘ぐってしまうけど。ちょっと意地悪なもの言いかな。すみません。でも里中みたいな子が、人のある部分を逆撫でする気持ちはわかる気がします。端的に言うとコンプレックスっていうか、普段は目を背けていたい部分というか。
たとえば、相手チームに怪我をした選手がいる。彼を狙い打ちしていけば逆転できそうだという状況だとする。山田太郎なら淡々と「いつも通りのプレーをするだけ」と言い切れるしそう行動できる。でも里中は「あいつを叩けば勝てる」「いやそんなことで勝ったとして俺は嬉しいのかよ」「でも俺ももう体力が限界だ」「苦しい」「勝ちは勝ちだ」「それで勝ったとして、俺は胸を張って甲子園に行けるのか」と、潔癖さと欲との間で揺れ動き悩んでしまうキャラなんですよ。たぶん。私は里中のそういうとこが好きです。
ちなみに岩鬼は「あいつを叩けば優勝じゃーい!」と嬉々として叩きに行くキャラだと思います。男と男の真剣勝負に相手が怪我してるから手加減するなんて道理はないんじゃーい。でもなんだかんだ言って相手の根性とか心意気に打たれちゃったりすると口ではそんなことを言いながら逆方向へグワァラゴワガ(ry
横道に逸れた (´-`)
冷静に考えてみると、男性が里中に感情移入して読むというのもやりにくい向きがあるかも。明らかに美少女顔だし。球道くんとかなら感情移入しやすいんだろうな。でもドカベンて漫画は構造的にどうしても里中に感情移入して読んでしまう漫画だと思うんですよね。山田太郎がスーパーマンだから。あ、里中視点で読むから「好きなキャラ」が山田太郎だったり岩鬼だったり殿間だったりするのかな?里中(=自分)は凡人だけど山田太郎は天才バッターで頼れる奴でカッコイイ、という図式なのかしら。
まあ口が滑ってるついでに言ってしまいますけど、たまに見かける里中=可愛い顔した子扱いは正直どうかと思うんですよね。ああ見えて実はドカベン一のど根性キャラなんだぜ。見た目に騙されてスルーしてしまうのはもったいないと思うんだ。確かに漫画というメディアにおいて見た目はキャラクタの大部分を記号的に表現するものだけど、すべての漫画において中身がイコールとは限らないし、むしろそこを常に裏切っていくのが水島漫画の真骨頂だと思うんですよ。
というわけで長々とまた里中談義でした。わたしはいつまで里中を語れば気が済むんだ。
「だいたい里中は、もっと投げたいとかあの球で行きたいとか、注文が多すぎますよ。いつもマウンドでいらいらしてるでしょ。ぼくなんか読んでいて、オレだったらひっぱたいてやるのにと思いますよ。」
(デーブ大久保/ドカベンPERFECTBOOK)
ああなるほど、と(笑)。
初めてここを読んだ時は、里中ってそんなにいつもいらいらしてたっけ?と思わず首をひねったんですが、考えてみるに、ドカベンという作品の中でイライラしてるシーンが印象的なのは確かに里中だけなんですよね。他に精神的な弱さを特徴的に描かれてる人はそういないんですよ。みんな割合安定してる。ていうか主人公が一番安定してる。笑。めずらしいですよね。
私はむしろ里中のそういう人間的な部分がナチュラルに好きで、そういう部分があるからこそがんばれよ~って応援したくなるし、逆に落ち込みから立ち直って活躍してくれると感動するんだよなーって思ってます。それに弱い部分を持った人間がいるから周りのキャラが活躍する余地ができるわけですよね。作劇の話になっちゃいますけど。
太郎さんが知略の限りを尽くすのは里中が怪我をしてこそ。岩鬼が時々格好いいのは里中がぐるぐる悩むからこそ。殿馬が頼もしいのは里中がよろめくからこそ。笑。里中が不知火みたいな子だったらなにも起こらないです。そう考えると、里中ってつくづく立ち位置がヒロインだ。
そういうわけで、無印巻末に解説文を書くような、勝負の世界で活躍してきた人たちが里中いいよなーって言っちゃうのは確かにちょっと情緒的にすぎるのかもしれないなー、と思いました。本音はどうか知らないけど公の場で口に出してしまうのは気概的にやばい気がする。それに、里中の弱さを指摘することで俺は強い、俺はああじゃないって言いたくなる気持ちもわかります。言わずにいられないのかなってちょっと勘ぐってしまうけど。ちょっと意地悪なもの言いかな。すみません。でも里中みたいな子が、人のある部分を逆撫でする気持ちはわかる気がします。端的に言うとコンプレックスっていうか、普段は目を背けていたい部分というか。
たとえば、相手チームに怪我をした選手がいる。彼を狙い打ちしていけば逆転できそうだという状況だとする。山田太郎なら淡々と「いつも通りのプレーをするだけ」と言い切れるしそう行動できる。でも里中は「あいつを叩けば勝てる」「いやそんなことで勝ったとして俺は嬉しいのかよ」「でも俺ももう体力が限界だ」「苦しい」「勝ちは勝ちだ」「それで勝ったとして、俺は胸を張って甲子園に行けるのか」と、潔癖さと欲との間で揺れ動き悩んでしまうキャラなんですよ。たぶん。私は里中のそういうとこが好きです。
ちなみに岩鬼は「あいつを叩けば優勝じゃーい!」と嬉々として叩きに行くキャラだと思います。男と男の真剣勝負に相手が怪我してるから手加減するなんて道理はないんじゃーい。でもなんだかんだ言って相手の根性とか心意気に打たれちゃったりすると口ではそんなことを言いながら逆方向へグワァラゴワガ(ry
横道に逸れた (´-`)
冷静に考えてみると、男性が里中に感情移入して読むというのもやりにくい向きがあるかも。明らかに美少女顔だし。球道くんとかなら感情移入しやすいんだろうな。でもドカベンて漫画は構造的にどうしても里中に感情移入して読んでしまう漫画だと思うんですよね。山田太郎がスーパーマンだから。あ、里中視点で読むから「好きなキャラ」が山田太郎だったり岩鬼だったり殿間だったりするのかな?里中(=自分)は凡人だけど山田太郎は天才バッターで頼れる奴でカッコイイ、という図式なのかしら。
まあ口が滑ってるついでに言ってしまいますけど、たまに見かける里中=可愛い顔した子扱いは正直どうかと思うんですよね。ああ見えて実はドカベン一のど根性キャラなんだぜ。見た目に騙されてスルーしてしまうのはもったいないと思うんだ。確かに漫画というメディアにおいて見た目はキャラクタの大部分を記号的に表現するものだけど、すべての漫画において中身がイコールとは限らないし、むしろそこを常に裏切っていくのが水島漫画の真骨頂だと思うんですよ。
というわけで長々とまた里中談義でした。わたしはいつまで里中を語れば気が済むんだ。
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ドカベンにハマって4年目となりました。水島ファンからするとまだまだ新参者ですがよろしくお願いします<(_ _)> 。ちなみにドカベンには某東京ローカル局のアニメ再放送(2008年1月~)でまんまとハマりました。里中かわいいよ里中。
ちなみにそこそこ乙女向けなのでお気を付け下さい。山里メインの球里・三里てところでしょうか。ロッテの三馬鹿大好きです。里中受はたいがい大好物です。
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管理人:ねりの
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